渋谷 夕食 櫻井翔と岡田准一がTHE夜会で行ったお店

櫻井・有吉THE夜会に岡田准一さんが出演し二人で渋谷の街でさしのみをしました。

櫻井翔さんと岡田准一さんは仲が良いそうで、視聴者からの「今でも後輩で一番好きなのは櫻井くんですか?」という質問に対して、岡田さんは「やっぱり櫻井くんが好き」と返答。

昔、お互いハタチごろに木更津キャッツアイというドラマに共演して、一緒に頑張った戦友というイメージが今も残っているということです。ドラマが終わってもいまだに役名で呼び合っており、バンビとぶっさんと呼ぶ間柄とか。

14歳でジャニーズ入りした岡田准一さんの2カ月後に櫻井翔さんがジャニーズ事務所に入ったそうです。そして、櫻井翔さんがジャニーズ事務所に入ってたった1カ月後に岡田さんはV6としてメジャーデビューしました。

わずかジャニーズ事務所に入って3カ月でデビューするという異例なことで、ジャニーズ最速のデビューだったそうです。

櫻井翔さんとはジュニアの一員として、V6岡田さんの後でバックダンサーとして踊っていたそうです。

そんな仲良しの二人ですが実は二人で、飲みに行ったことなく10年以上も二人でゆっくり話す機会もなかったそうです。

そんなことで、今回のTHE夜会での企画が、櫻井さんと岡田さんの初めてサシ飲みということになりました。

お店は予約せずに二人で探して交渉してもらうという企画に対して、岡田さんは「渋谷に行ったらとんでもないことになるんじゃないか」と心配。

でも、櫻井さんは「渋谷だと、僕たちは気にされません。みんなHey!Say!JUMPですよ」と。

道中の車の中で岡田さんは櫻井さんに「大野のこと思って呼び捨てするの?」と聞いていました。それに対して櫻井さんは「兄さんと言っている」ということでした。

嵐の大野智さん、岡田准一さんと滝沢秀明さんはほぼ同期で仲よかったそうです。

ジャニーズには合宿所が年上組と年下組の2つあって、最初は3人は年下組の合宿所で一緒だったそうです。

でもデビューか決まって岡田さんは年上組の合宿所に引っ越したそうです。

そして二人が向かったのは渋谷センター街の肉横丁。

渋谷の肉横丁は大人気だそうで超満員でした。しかし二人が中に入っても、お店の人たちは意外と微妙な反応で大騒ぎになりませんでした。

二人は奥の席のほうへ行き、初めてのサシ飲みがスタート。

二人はビールで乾杯し、櫻井さんが「お酒を飲むのは木更津キャッツアイの打ち上げ以来じゃないかと」と言うと岡田さんから衝撃の告白。

「その後キャッツアイの出演者はみんな家に来たんだよ」

ところが櫻井さんは呼ばれてなかったそうです。岡田さんは呼んだよと主張してましたが。

岡田准一さんがよく遊ぶのは生田斗真さん、山下智久さんで、嵐のメンバーとも交流はあり松本潤さんから相談に乗って欲しいと言われたけど受け止められる自信がなかったので断ったということでした。

それに対して櫻井さんは「わかる彼のまっすぐさを受け止める自信はなかなかない」と。

そして、周りに人がいては話しにくいので個室のあるお店に移動することになりました。

そして岡田准一さんが交渉したのがFeil’s lounge (フェルズラウンジ) – 渋谷/居酒屋。岡田さんはあっさりと撮影許可OKをもらってきました。

櫻井さんから岡田さんへの質問は「木更津キャッツアイの位置づけはどうですか」ということでした。

岡田さんは「自分にとって大きなきっかけになる仕事だった」と。

櫻井さんも「自分にとっても大きなきっかけだったし、この仕事は楽しいなと思える仕事だった」そうです。

岡田さんはキャスターをやっている櫻井さんを見て、「もうバンビって呼んじゃあゃいけないのかな、もうバンビじゃあないな鹿だ」と。

岡田さんは自分のコンプレックスについて話し始めます。

「天才の人っているじゃない。V6でいうと森田くんが天才だと思う。それを見て俺は普通だというのを若い頃にわかっちゃったんだよね。アイドルとして劣等感しかなくて。何をやっても向いてるとは思えなくて。すごい言葉悪いけどやっぱりアイドルってものに対して自分にとって難しい時期があって」

櫻井さんも「そんな感じがしていた。バラエティーとかはちょっと距離を置くみたいなことってありましたか」

岡田さんは「あった。若いころはね。他のメンバーは何を言ってんだって感じだたと思う。メンバーに迷惑をかけたこともあった。口聞かなかったもんね。メンバーとも。それを許してくれたメンバーがいてというか」

櫻井さんは「岡田君は大阪でラグビーをやっていて。男っぽい人だった。それが急にアイドルとなって追いつかなかったんじゃないかと思っています」と。

そんな岡田さんを変えてくれた一言があったそうです。

それは「俺はバラエティーの司会に命をかけている」という先輩の一言。

それに対して自分で命かけるもの何かなと考えて芝居をやりたいと思ったそうです。でも自信はなくて。

そんな時に、緒形拳さん、渡哲也さん、田村正和さんといった大先輩の方々が役者を続けなさいと言ってくれたのは大きかったそうです。

やっぱりジャニーズのタレントが芝居をやるっていうのは難しかったそうで、ジャニーズということだけで色眼鏡で見られることがあったといいます。

櫻井さんもどの仕事をしていてもアウェイとまでいかないけど、本職の人達の集まりに半端者が顔を出しているという何か変な意識がやっぱあると言っていました。

そして役者の道を歩み始めた岡田准一さんはジャニーズで初めて日本アカデミー賞を獲得しました。でも。岡田さんは自分で自分のことをまだ認めていない。だからこれからかなということでした。

「自分がアイドルだろうが俳優だろうがそんなことは、本当突き止めると些細なことで。作品がやっぱり一番大事だと思うんだよね。自分がどう思われたいか、どう見えたいかって。くだらないことな感じがして。俳優の仕事だろうとグループの仕事だろうが単純に言うと良い仕事をしたいよね」

岡田さんはデビュー当時の嵐について語り始めます。

「テレビで言うことかわからないけど、嵐は苦労してることが多かったんじゃない。最初の五年ぐらい。それこそ俺たち駄目だみたいなことずっと言ってたのを聞いてたから」

「櫻井もずっと考えがあるんだろうなってちょっと話したりして思ったけど、キャスターやり始めたじゃん。どういう経緯があったの」

それに対して櫻井さんは「岡田くんもさっき言ってたけど。悩むじゃないですか。25歳のときにはもう嵐はなくなると思った」

「この世界で生き残るとしたら何かって考えた。その時にバラエティーで一緒に仕事したアナウンサーの方が夕方のニュースで独占インタビューしていたんですよ。考えてみたらジャニーズでこんなことしている人いないなぁって」

「報道って言うと大袈裟だけどそういう話ないですかと事務所に話に行ったのが木更津キャッツアイが終わった二十歳ぐらいの時だったと思います」

「僕は中居くんや、太一くんみたいに大勢いるタレントさんとか芸人さんとかを回すってことはできない。だけど、誰か一人にじっくりとインタビューするのは僕はむしろ好きなんです」

「それがキャスターという仕事に行くきっかけの一つだったのかも」と答えてました。

岡田准一さんは最後に「本当にメンバーに感謝している。メンバーに幸せにいて欲しいとか本当に思えるようになった」と言うと。櫻井さんが「それ酔うと松本潤が全く同じこと言いますよ」と言っていました。